【 広辞苑穴埋めクイズ 】です。 空欄に入る日本三大随筆の一つは? しなののぜんじ-ゆきなが【信濃前司行長】 鎌倉時代の人。藤原行長。 【 何 】の記述によって 平家物語の作者に擬せられる人。 | 徒然草 (つれづれぐさ) |
【 漢字変換クイズ 】です。 次の共通するカナ部分を 正しい漢字に変換してお答え下さい。 【ショウデン】とは、平安時代以降の 日本の朝廷において、内裏清涼殿の 南廂にある殿上の間に昇ることを許すことである。 ……天承2年(1132年)には平忠盛の 内【ショウデン】が認められ、 武士の時代の到来を告げる画期となった。 | 昇殿 (しょうでん) |
【 何 】の乱は、平安時代末期の 【 何 】元年(1156年)7月に皇位継承問題や摂関家の内紛により、 朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇方に分裂し、 双方の武力衝突に至った政変である。 崇徳上皇方が敗北し、崇徳上皇は讃岐に配流された。 この朝廷の内部抗争の解決に武士の力 を借りたため、武士の存在感が増し、 後の約700年に渡る武家政権へ 繋がるきっかけの一つとなった。 | 保元 (ほうげん) |
【 近似値クイズ 】です。 武士として初めて太政大臣に 任ぜられた平清盛が 太政大臣だった期間は、 1167年3月4日から 【 何 】年6月13日(ユリウス暦) までの期間だったでしょう。 | 1167年 ※僅か3か月・100日程度 |
【 広辞苑穴埋めクイズ 】です。 [慣]【 何 】は久しからず [解](平家物語の書出しに…… 平家の存亡を予言した文から) 栄華を極めて勝手な振舞をする人は 長くその身を保つことができない。 | 驕る平家は久しからず |
平徳子は、日本の 第80代天皇・高倉天皇の皇后。 女院。院号は【 何 】院。 安徳天皇の母。 父は平清盛、母は平時子。 | 建礼門院 (けんれいもんいん) |
【何】拍子を舞う女性たちは 遊女とはいえ貴族の屋敷に 出入りすることも多かったため、 見識の高い者が多く、 平清盛の愛妾となった祇王や仏御前、 源義経の愛妾となった静御前……など、 貴紳に愛された【何】拍子も多い。 ※空欄に共通して入る色を 《 漢字 》に変換してお答え下さい。 | 白拍子 (しらびょうし) |
乱世編 初出:『マンガ少年』(1978年4月号 - 1980年7月号) ……一方おぶうは平清盛の侍女となる。 悪名高い清盛は、実は世間の荒波と 家中の乱暴狼藉の板ばさみに 苦悩する小心な老家長であった。 そしてその清盛には、大陸からもたらされた 【 何 】を隠し持っているという噂があった。 | 火の鳥 |
近年では、この陰謀が平清盛によって でっち上げられたもの だとする説など解釈に諸説あり、 「【どこ】の事」と著す学者もいる。…… 謀議が事実であったかどうかは当時でも 疑問視する向きが多く、西光と成親が清盛の呼び出しに 簡単に応じていることから、平氏側が院近臣勢力 を潰すため、もしくは山門との衝突を回避するために でっち上げた疑獄事件の可能性もある。 | 鹿ヶ谷 (ししがたに) |
鬼界ヶ島(きかいがしま)とは、 平安時代末期の1177年(治承元年) の鹿ケ谷の陰謀により、俊寛、 平康頼、藤原成経が流罪にされた島。 【 何 】国に属す。 古代以降、日本の南端の地として 長い間認識されていた。 | 薩摩国 (さつまのくに) |
「日本秋津島は僅かに【 何 】ヶ国、 平家知行の国三十余ヶ国、 既に半国に及べり」 (『平家物語』)という状態となった。 ※空欄に入るゾロ目2桁な 自然数は【いくつ】でしょう。 | 66ヶ国 |
【 4択の問題 】です。 高倉上皇と平家一門の反対を押し切り、 平清盛の主導で造営が進められた いわゆる「福原京」といえば、 現在でいう【 何 】という 都道府県に存在していた かつての日本の首都でしょう。 “大阪”府 “京都”府 “奈良”県 “兵庫”県 | 兵庫県 ※兵庫県神戸市中央区から兵庫区北部 |
【 漢字変換クイズ 】です。 次の文章中のカナ部分のみを 正しい漢字に変換してお答え下さい。 以仁王の令旨を奉じて挙兵するも 石橋山の戦いで大敗して 逃亡した源頼朝は、 【アワ】(の)国で再起を誓った。 | 安房国(あわのくに) ※安房国:千葉県南部、×阿波国:徳島県 |
市原合戦は、治承4年9月7日 に信濃国で起きた合戦。 「善光寺裏合戦」とも呼ばれる 治承・寿永の乱の中で起きた 合戦の一つ。 史料上に初めて現れる 源【 誰 】が関与した戦いである。 | 源義仲(みなもとのよしなか) ※いわゆる「木曽義仲」 |
平 維盛(たいら の これもり)は、 平安時代末期の平家一門の武将。 平清盛の嫡孫で、平重盛の嫡男。 平氏一門の嫡流であり、 美貌の貴公子として 宮廷にある時には【 誰 】の再来と称された。 ※空欄に入る架空の人物は? | 光源氏 (ひかるげんじ) |
共通する空欄に入る単語を 《 漢字に変換 》してお答え下さい。 【 何 】のエピソードは、 太平の世で戦に不慣れとなっていた 平家の軟弱さを示すものとして知られるが、 ……戦力差を考慮して 【 何 】の羽音とは関係なく 撤退を決めていたとの見方もある。 | 水鳥 (みずどり) |
【 4択の問題 】です。 ナント(Nantes)といったら フランスの都市。平成後期以降、 南砺市(なんとし)といったら 富山県の都市。では、治承後期に 平氏軍が焼討を行った「南都(なんと)」 といったら現在の【 何 】県? “滋賀”県 “奈良”県 “兵庫”県 “和歌山”県 | 奈良県 ※東大寺(大仏殿含む)や興福寺を焼討 |
養和の【 何 】は、養和元年(1181年) に発生した大【 何 】である。…… 『方丈記』では京都市中の死者を 4万2300人と記し……ている。 こうした状況のなかで入洛した 義仲軍は京中で兵糧を徴発しようとしたため、 たちまち市民の支持を失ってしまった。 | 飢饉 (ききん) |
清盛の死により、平氏の新体制 作りは計画倒れに終わる。 『平家物語』では清盛が死に臨んで 「葬儀などは無用。 【 誰 】の首を我が墓前に供えよ」 と遺言を残したとしている。 ※“姓”は含んでも含まなくても構いません。 | 源頼朝 |
倶利伽羅峠の戦い…… しかしこの戦術が実際に使われたのかどうか については古来史家からは疑問視する意見が多く見られる。…… (ただし、紀元前217年のアゲル・フレルヌスの戦いで、 【 誰 】は、松明を角に結びつけた牛を (カリキュラ峠)に向かって走らせる事で ローマ軍の陽動作戦に成功している為、前例はある) | ハンニバル (Hannibal Barca) |
【 4択の問題 】です。 『平家物語』において、 源義仲(木曽義仲)が後白河法皇 によって与えられた称号は 【 どれ 】でしょう。 “朝日”将軍 “真昼”将軍 “夕日”将軍 “望月”将軍 | 朝日将軍 (あさひしょうぐん) |
粟津の戦いは、近江国粟津にて行われた 源義仲と源頼朝派遣の東国諸将との間の戦い。 ……義仲は覚悟して自害の場所を 求めて粟津の松原に踏み込んだところ、 【何】の脚が深田に取られて動けなくなり、 そこを顔面に矢を射られて討ち死にし、 これを見た兼平も自害して、 木曾源氏勢力は崩壊した。 | 馬 |
逆落とし 精兵70騎を率いて、【どこ】の裏手の 断崖絶壁の上に立った義経は 戦機と見て坂を駆け下る決断をする。 『平家物語』によれば、義経は馬2頭を落として、 1頭は足を挫いて倒れるが、もう1頭は無事に駆け下った。 義経は「心して下れば馬を損なうことはない。 皆の者、駆け下りよ」と言うや先陣となって駆け下った。 | 一ノ谷 (いちのたに) |
【 4択の問題 】です。 1185年に「屋島の戦い」が 行われた「屋島」は、 【 どの 】国にあった島でしょう。 “阿波”国 “伊予”国 “讃岐”国 “土佐”国 | 讃岐国 (さぬきのくに) |
【 3択の問題 】です。 「壇ノ浦の戦い」で水没し、 結局、発見することが出来なかった とされる神器は【どれ】でしょう。 “天叢雲剣” “八咫鏡” “八尺瓊勾玉” | 天叢雲剣 (あめのむらくものつるぎ) |
ヘイケガニの甲の模様は人間の【 何 】の表情に似る。 さらに瀬戸内海や九州沿岸に多いことから、 壇ノ浦の戦いで敗れて海に散った 平氏の無念をなぞらえ、 「平氏の亡霊が乗り移った」 という伝説が生まれた。 このためヘイケガニは食用でない にもかかわらず有名なカニとなっている。 | 怒り |
【 4択の問題 】です。 奥州合戦で源義経らが討たれた 文治5年(1189年)に 討たれた奥州藤原氏の 当主といえば【 誰 】でしょう。 藤原“清衡” 藤原“秀衡” 藤原“基衡” 藤原“泰衡” | 藤原泰衡 (ふじわらのやすひら) |
【 誰 】は、……1994年1月、体調を崩して訪れた 東京都内の病院で前立腺癌と診断された。 長編歌謡浪曲の集大成として制作していた 2時間25分の組曲アルバム『平家物語』を 構想10年執筆6年という歳月をかけた上で無事完成させる。 この「平家物語」で、第36回日本レコード大賞企画賞を受賞し、 この年の仕事を無事に乗り切ったことで その後の闘病生活に自信を持ったという。 また、この年には勲四等旭日小綬章を受章している。 | 三波春夫 (みなみはるお) |
2018年時点では三品検校の弟子である 今井勉が生存しているだけで、 今井に弟子はいない状況である。 平曲にまつわる文化を研究・伝承するため、 ……「平家語り研究会」が2015年に発足。 ……かつては約【何】00曲あったとされるうち 現在まで伝わる8曲の譜や録音の研究、 地歌や筝曲の演奏家による平曲の公演などを行っている。 | 200曲 |
源平合戦では、白旗は【何】氏の旗印であった。 ……これをもって日本で「紅白」は 対抗する図式の象徴色の一つとなった。 ここから発展して今日では、 小学生児童の体育着の紅白2グループに 分けるためのリバーシブル・デザイン、 および、運動会での紅白に分かれたチーム対抗競技、 あるいは、テレビ番組の『紅白歌合戦』など対抗形式の催し物、 その他諸々の習俗的一面を形成するに至っている。 | 源氏 (げんじ) |