金曜土曜はVIPでクイズやろうぜ公式Wiki - 問題置き場20190420_2

問 題


 次の文章は、丹生美之の論考「クイズ番組の誕生」の一節である。敗戦後間もない1946年、日本のクイズ番組(当初は「当てもの」などと呼ばれていた)の草分けといわれる『話の泉』が、NHKのラジオ放送で産声をあげた。『話の泉』をはじめとする草創期のクイズ番組では、現代の感覚ではクイズといえないような問題がやりとりされており、さまざまな物の見方や解釈が入り混じる多義性に満ち溢れた空間だったといえる。これに続く本文を読んで、後の問いに答えよ。ただし、出題の都合上、本文の一部を改変している。

本文


著作権の都合上、掲載は控えさせていただきます。下記著作をご参照下さい。

丹生美之,2003,「クイズ番組の誕生」石田佐恵子・小川博司編『クイズ文化の社会学』世界思想社,75-103.
(上記論文のうち、95ページ4行目から101ページ3行目までを、一部出題フォーマットに合わせて表記を改変したうえで使用しました。)

問1 本文中の[   ]に共通して当てはまる言葉として、最も適当なものを一つ選べ。

(1) 競 技  (2) 多 様  (3) 論 理  (4) 話 題

問2 下線部(A)「問いと答えを排他的に一直線で結びつけた形式」とは、どのようなクイズか。最も適当なものを一つ選べ。

(1) 初期の意味の過剰さを尊重しながらも、競争意識を煽るやり方を取り入れたクイズ。
(2) 知を規格化・標準化・得点化することで、単純明快なゲーム性を指向したクイズ。
(3) 低俗批判に呼応して、子供に悪影響を与えるような表現を自粛したクイズ。
(4) 視聴者が競争の魅力を堪能する過程で、自己評価と単純明快さの循環を生むクイズ。

問3 下線部(B)「出題者としての聴取者はこの時期どのような動きをみせ、クイズ文化のゆくえをどのように方向づけていったのであろうか」について、常連出題者と呼ばれる人々の動きや、彼らがクイズ文化に対して与えた影響について説明した文章として、最も適当なものを一つ選べ。

(1) 番組に採用されやすいクイズのあり方を洗練させて、それに沿った投稿を繰り返すことで、ラジオ聴取者のクイズ観を形成していった。
(2) 出題愛好家団体を結成し、団体が編んだ大著に自らの意見を発表することで、「最良」のクイズの条件やクイズ出題の心構えを番組制作者に啓蒙していった。
(3) クイズを、日常生活に役立つものや、身近な「テスト」になぞらえることで、自分のアイディアが電波にのるというラジオの楽しみ方を提供していった。
(4) ラジオを聴きながらクイズに答えたり、司会者と解答者の会話に熱中することで、問いと答えが排他的に一直線で結ばれる形式を学習していった。

問4 下線部(C)「『正典』と位置づけることができる」について、『クイズ年鑑:問題と解答集 1955年(前期)』が比喩的に「正典」であると言えるのはなぜか。最も適当なものを一つ選べ。

(1) 放送局の協力を得て、番組に採用されやすいクイズのあり方を番組制作者側の視点から体系的に整理した著作だから。
(2) 正解の多様性を否定して、クイズは単一の正解をもつものであるという常連出題者の間に共有されている規範を明示した著作だから。
(3) 私的な通信手段が乏しかった時代に、全国に多数存在し精力的に活動する出題愛好家を結びつける役割を持った著作だから。
(4) 出題愛好家が蓄積した良質なクイズを作るノウハウや実際に作られた問題を、出題愛好家団体自らが編纂している著作だから。

問5 この論攷の中で筆者が採用した調査手法と、それによって明らかになった実相について説明した文章として、最も適当なものを一つ選べ。

(1) 1950年代半ばのラジオクイズ番組の構成要素をデータ化して定量的分析を行った結果、公開録音で制作されたこと、一般聴取者が問題と解答を作成する投書方式が採用されたこと等4つの特徴を抽出した。
(2) 当時のラジオクイズ番組に関する論評を収集して、その内容を実際の放送番組と突き合わせて分析することで、射幸心を煽る、子供に悪影響を与える等の批判が、具体的に放送された番組に当てはまることを確認した。
(3) 聴取者に関する資料として『クイズ年鑑:問題と解答集 1955年(前期)』に掲載された寄稿を参照しながら、とりわけ常連出題者が問いと答えを排他的に一直線で結びつけた形式のクイズを志向していたことを見出した。
(4) この時代に家庭でラジオクイズ番組を聴取していた人のライフ・ストーリー(個人の主観に基づく生活史)をもとに、人々が日常的にクイズ番組に触れて、現代的なクイズ文化が国民的規模で浸透したプロセスを明らかにした。